ハプニングだらけ、成長をさせてくれたアメリカという国 vol.2

語学留学、大学、グリーンカード、ピアノ、仕事の20年(留学準備編)

こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。アメリカ留学への準備(金銭面と予行練習としての1人ニューヨーク旅)についてのお話をしようと思います。

留学を決心し両親に話をしたら行きたいなら行ってもいいけど金銭面で援助するつもりは全くないとの事、なぜかショックを受けることもなく’自分でお金を稼げばいい’、それだけの事で仕事をし始めました。

仕事は事務をし始めましたがブラック企業で1年半くらい?で辞め、新宿伊勢丹のInternational Designerのある1店舗で仕事をし始めました。ブラック企業ではなかったもののお金を必死にためているところで周りに誘惑が沢山!ご存じのように伊勢丹には素晴らしい物がこれでもかという程あり、それに加え自分が仕事をしている場所はお洋服を販売しているところ。ついつい買いそうになってしまいます。留学をぼんやりと決めた時は数人の友達と都内でディナーをしていた記憶がありますが、そのディナーも早々に参加するのを止め、お金を使う場所は格安で個人宅で英語を教えているその授業料にだけ使っていました。

そんな中留学先を探さないとなので1990年前半の日本はまだインターネットで情報を得るという事はなく海外の情報は全て雑誌か地球の歩き方という本くらいです。なぜか漠然とイギリスにしようと考え英語を習える学校を見つけました。暫くの間はその学校の事を考えていたのですが、よくよく考えてみると語学学校と大学の授業料+生活費、計5年くらいの費用が必要となるとイギリスは高すぎる。そこでアメリカの大学を考え始め、かなり授業料の安いアーカンソー州にあるUniversity of Central Arkansasの語学学校を見つけました。(以下UCA)

さっそくファックスでUCAの語学学校に資料を送って欲しいと連絡をしたら直ぐに連絡が来て、その時点で’海外からファックスが届いた!’というだけでワクワクで留学を何年後にしようかと徐々に話が具体的になってきました。私はアメリカのアーカンソー州に行くっ!

英語は個人宅で習ってはいるものの今まで英語を口に出した事なんて全くないし恥ずかしいし日本人の先生が英語でしゃべっていても全く何を言ってるのかわからない。向こうに行ってから本格的に習得すればいいかとかなり軽く考えていた気がします。

ある日お金の計算をしていてアメリカに行くのは1996年の8月頃?にしよう、その時には〇〇くらいのお金が貯まっているはず。決めてからは貯金の額を紙に書きだしたり、8月までの日めくりカレンダーを作ったり。語学学校と連絡を取り合って寮をに住みたい旨を伝えたり。全ての未知の事を自分で決めるたびに心はとてもワクワクです。

徐々に渡米する日が近づいているその間にも予行練習したほうがいいかな?という事である日ニューヨークに一人で行ってみました。

成田から搭乗、飛行機の中は日本語、ここまでは1人で大丈夫です。行く前から地元の図書館で地球の歩き方など旅行の本を2冊借りていたので十分に読んでいました。12時間半後にJFK空港に到着し飛行機から降りようとしていた時、ある日本人の女性に機内で声を掛けられました。私がかなり不安そうにしていたのを感じたのかも知れません。’誰か迎えは来ているんですか?’と聞いてきました。私は’いいえ、誰も。。。’そしたら’私のボーイフレンドが迎えに来ているのでマンハッタンのホテルまで送っていきますよ’と親切にも言ってくれました。私はその時20歳少し過ぎで1人でニューヨークまで来てしまった、到着してからどうやってホテルまで行くかさえも何も考えてなく飛行機を出てから何が何だか全くわからず。だって英語が読めないし分からないし。目に入ってくる空港内の表示は全部英語でその都度辞書なんか引いてられません。物事はすごい勢いで過ぎ去っていきます。もうその女性の後をただついて行くだけです。どうやってImmigrationを通ったか、Baggage Claimに行ったかは全く覚えていません。

私は飛行機を降りる寸前に声を掛けられた全く知らない日本人女性とそのボーイフレンドの車に乗り込み(今から考えたら怖い話です。)マンハッタンのホテルまで送ってもらいました。

今回のお話はここで区切ろうと思います。長くなりましたが次回の話もお付き合い頂けたら嬉しいです♪