ハプニングだらけ、成長をさせてくれたアメリカという国 vol.18
語学留学、大学、グリーンカード、ピアノ、仕事の20年(グリーンカード・インディアナ大学編)
こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。徐々に寒くなってきましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。寒い季節はそれこそこれからお話をするインディアナ州を思い出します、何しろ冬はー15度くらいが毎日のことだったので。。。
アーカンソー州からインディアナ州に引っ越しをする為、軽トラックに自分の全ての荷物を載せてニャン太郎とココちゃんの3人で出発です。大学のあるインディアナ州ブルーミントンの町までは10時間かかるので途中、アメリカ人の知り合いのお家に一晩泊めさせてもらいました。でも知らない人だし知らない場所に一晩泊るのはと躊躇しましたが、まあ今回だけだし。。。と割り切って1部屋お借りしニャン太郎とココちゃんもやっと足が延ばせたようでした。その晩は殆ど眠れず、丁重に泊めさせて頂いた事のお礼を申し上げ、いざブルーミントンへ出発。
アパートのマネージャーの所に行き手続きを済ませ自分の部屋に入ると。。。んんん?ブラインドが全く付いていない。しかもライトもないし。アーカンソーのアパートはどこでもブラインド、ライト、冷蔵庫、エアコンは入居する時には付いているものです。でもインディアナ州の私のアパートにはブラインドとライトが無い。。。またマネージャーの所に戻って無い事を説明すると、’付いてないよ、入居する時は’とあっさり言われてしまいました。アパートを契約した時にはそのような説明はなかったこと、今直ぐに付けて欲しい事(夕方になり外から丸見えになって防犯上よろしくない為)を伝えたら、そんな物は自分で買ったらとあっさり言われました。私は話が違うので今すぐ付けて下さいと粘って何度も交渉して交渉して、やっと次の日につけてもらいました。あー本当に疲れる、ただでさえ引っ越しで疲れているのにこんな事で交渉するなんてっです。
軽トラックから荷物を自分の部屋に運び込むのは引っ越し業者にしてもらいました。運び入れるだけなのでそれ程金額もかからず引っ越しは終了。食料の買い出しをしにスーパーに行きますがアーカンソーとは全く違うスーパーでのお買い物です。やはり全米1位くらいに物価の安いアーカンソーに比べると高いっ!食料を買うのも控えがちになります。それでも何とか調達し、町の風景など全く違ったものが目に入って楽しみながら帰宅しました。
私のいたアーカンソーの町は人口が少なかったのだと思います。それ程廃れているところはなく、調度引っ越しをする時に次々と新しい素敵な家が建っていたので、これから人口が増えるだろうというところ。一方でインディアナ州ブルーミントンは国際色豊かな感じで人の数が多い、特に大学のキャンパスの周りに。。。バスやタクシーも走っているし町や家がとても古い感じがする(インディアナ大学は1820年に設立されているようです。)、という違いを感じながらインディアナ州での生活が始まりました。
まずは学校がないので大学の事務の仕事から。言われた通りの場所に行って新しい職場の仲間や自分のボスを紹介され、早速仕事。同じ時期に仕事を始めた仲間は確か4,5名いたと思います。皆そろって仕事の説明を聞き実際に開始。もちろん日本人/アジア人は私だけです。仕事の内容は世界中から大学に入学願書が送られてくるその願書に記載されている個人情報を大学専用のシステムに入力をしなければいけないデータ入力の仕事。時給は普通より少々お高め。というのはただのデータ入力ではなく、願書に記入されている重要事項、例えば高校の成績を入力するのですが、間違えると奨学金をあげるべきではない人にあげてしまったり、逆にあげるべき人にあげなかったりという間違い入力の可能性もある為まあまあ重要な仕事。生徒たちが奨学金を獲得できたという手紙は2重3重にもチェックされて、最終的には間違いは何とか止められるものの、誰が間違った成績を入力したんだという犯人探しが毎回あり、怒られるし解雇される可能性絶大になります。(アメリカは本当に簡単に解雇するのでヒヤヒヤです。)
私の担当は海外から送られてきた願書の入力で他の人達はアメリカ国内の願書の入力をしていました。仕事は8時間勤務、音楽を聞きながら仕事をしてもOKなんだけど何しろ単調な作業なので眠くなるし、という事は間違える確率が高くなる。皆眠覚ましにオフィス内を歩いたり立ち上がって運動をしたりしながら苦痛の8時間勤務を毎日していました。私は毎日お弁当を作って仕事に行き、その仕事が終ると自分のアパートに戻ってニャン太郎とココちゃんとお話をし、それからピアノの練習。ピアノはアップライトの本物のピアノを購入しアパートで遅くならない時間まで練習。それとアーカンソーでやっていたアメリカの会社の仕事もして。。。とかなり忙しい毎日を過ごしていました。
まだアメリカではこの頃2004年あたり?は携帯電話はあまり出回ってなく家に電話をつけていました。その契約をアメリカ人の友達にしてもらったのですが、何を間違ったのか全てのオプションがつけられていてその使ってもいないオプションがあるが為に莫大な電話の請求書。友達に文句も言えず、電話会社にこのオプションを全部外す事を頼み、そして請求書の金額も間違いなので正して欲しい旨を伝えました。これも3か月くらいかかった交渉の末、請求書を変更してもらい無事に解決。。。
しかし単調、でも間違えられない仕事を8時間と自分1人だけでの練習の毎日、なんだかフツフツしてきます。玲子先生からレッスンをたまに取ってはいましたがそれでもイライラがたまる毎日でした、だってインディアナ大学の中で仕事はしているけど音楽の学生ではないし、正式に受け入れてもらってさえもいない。ストレスがどんどん溜まりあるクリスマスの日12月25日に酷く吐き気がして病院へ行きました、アメリカで病院へ行くと莫大な金額がかかる、しかも救急。自分でなぜ気分が悪いのか何処に不快感を感じているのかよく分かりませんでした。取り合えずフラフラしながら検査をしてもらったり点滴を打ってもらったりして2時間くらいで帰宅。仕事の友達にアパートまで送ってもらいましたがそれでも吐き気がすごい。その日から食事があまり出来ず体重がどんどん落ちていきました。仕事には行かないと生活費がなくなるしそうなるとニャン太郎とココちゃんのご飯さえ買う事も出来ない、いつものお弁当は食べれないので茹でたじゃがいもと少量の塩を持参してそれを食べ、夕飯も煮たじゃがいもと人参だけ。味付けはなし。白湯を飲む毎日でこのような食事を約1か月続け体重が落ちないようにし、やっと胃腸の専門医に診てもらいました。結局胃カメラを飲み、薬を処方してくれ全部で30万くらい。働いたお金がなくなっていきます。でもしょうがない、健康でないと何もできない。。。この時に本当に心から健康でいる事がいかに重要かをしり、病気で日本に帰りたくてもその力もなかった自分の今の立場がとても不安定な事に気が付きました。
今までは何かあったら日本に帰れば。。。と思っていたと思います。でもまだ帰る時期じゃない、病気だったとしても。私にはやりたい事があってどうしてもインディアナ大学で音楽を勉強したい、どうやっても音楽の知識が欲しい。。。
徐々に胃腸が治りかけてからはストレスをためないようにピアノの練習も程々にし、仕事の事や今ある自分の状況もあまり考えないように努めていました。多分全ての事を心配しずぎたのでしょう、仕事も解雇されないという保証はないしピアノのオーディションに受かるかも分からない。心理学とピアノ演奏の大学卒の称号はあるけどそれがあってもアメリカでは小学校卒業証書のようなもので何にもなりません。この時点で日本に帰ってもまた以前と同じ事をするだけです。何にしても健康であり続けないと。。。時間をわざと作ってショッピングに行ったりアパートで映画を見たりしながらゆっくりとした時間を過ごしていました。
玲子先生から毎週ピアノのレッスンを取りTOEFLの勉強も徐々にし始めました。もちろん日本語で書かれているテキストブックはないので英語の検定を英語で勉強をする、はあ~。また頭が痛くなるような時間が続くのかと思うと。。。取り合えず勉強を始め、まあこんなものかな程度でテストを受けたらもちろん低い点数。リーディングの所で読む量が沢山あり問題を解ききれませんでした。なのでリーディングを中心に勉強、そしてテスト代にもお金がかかっているのでもう少し緻密に勉強をしないとまずいなと思い、勉強をしテストを受けてもまだ希望の点数に達しない。アメリカ人の友達を巻き込みイライラしながらも勉強をかな~り緻密にし、テスト会場まで交通渋滞に巻き込まれテストに遅刻しながらも受けたらやっと希望の点数以上のものが取れました、あああ~。。。ホッとはするものの幾らお金をこのテストに使ったんだと思うと自分に呆れてしまいます。
次にクリアしなければいけない関門はピアノのオーディション。これも簡単ではありません。ピアノの巨匠達の前で演奏をする事を考えただけで気分が悪くなりそうです。次回にこちらのお話から始められたらと思います。では皆様良い週を!Have a nice week !