ハプニングだらけ、成長をさせてくれたアメリカという国 vol.15

語学留学、大学、グリーンカード、ピアノ、仕事の20年(グリーンカード・ピアノ勉強編)

こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。そろそろ大学でのピアノの勉強がどのようになっていくかのお話になります。

ピアノ演奏で大学に戻ったは良いが全く上達しない。現在お子様でも大人の生徒さんでもピアノを習っていたら上達している手ごたえは感じるはずです。習う方も教える方もどう如何に言われた言葉を感じるかがカギになってきます。

さてどうしたものか、一向に上達しない。こちらはやる気の塊です。ある日日本から来た伴奏の先生、飯沼先生からレッスンを取りました。今の自分の先生とは全く違う言葉が出て来る、何となく辻褄が合うような、シックリくるような。でも一時的に教えてもらっても上達はそう簡単にはしません。ピアノを弾く指がクルクルと回ってもその先がどうにも進まない、今教える立場になって沢山の人達がここで立ち往生しているように思います。

唯一ピアノ上達の手がかりをくれる飯沼先生からレッスン中に言われたことは一言も逃さないように録音をしたり、楽譜に即座に書き留めたりと必死です。そして自分の先生とのレッスン、歌、サックス、ヴァイオリン、トロンボーン、ホルン、クラリネット、オーボエ等ありとあらゆる人達からの伴奏を頼まれ、もちろん即座にOK。全ての経験は自分の為になるので音楽/ピアノに関係する事はYESと言っていました。

YESと言っている中でも彼ら達とのリサイタル。。。’生徒のリサイタル’という名目の簡単なリサイタルが参加者がいる限り毎週水曜日にリサイタルホールで午後1時から開催されます。私自身も参加したり、伴奏者として参加したり。ただでさえ人前に出る事が嫌いで注目されるのは本当に嫌いなのにステージに上がる。。。自分で選んだピアノの道にこの部分、人前で演奏をする事が本当に嫌いでした。

後々分かる事なのですがどうやら私は自分で嫌いな事、やりたくない事、あわよくば避けて通ろうと思っている事は今の所全部やらざろう得ない事になっているようでこの時点では精神も害する思いでピアノ演奏をステージでしていました。

伴奏者としてもガタガタと震える緊張、お腹も壊すし熱も出ているように気分がかなり悪い。ソロの演奏なんて地獄に落ちるようなものです。それでも勇気を振り絞ってやっていました。いつも演奏をし終った後の感覚は最悪中の最悪、間違いだらけの演奏で最悪だから。。。そこからその最悪の感情を引きずる事1週間。。。そんなに嫌なら止めればいいのにと何度も何度も思います。そんな考えがやっと消えたのはつい最近の話なのですが、最悪の感情を持ちながらピアノを続けるってどれだけ自分を苛めれば気が済むのか。緊張の話を自分の先生にしても、本人はここまで緊張を感じないようで私の話に共感できないよう。飯沼先生も舞台では緊張をするのは当然とは言ってはいるものの私ほどでは無さそう。インターネットで他の人の話や舞台での緊張のほぐし方のテクニック、薬を飲んだりもしました。それでも99.9%はド緊張で失敗の連続。練習では上手くいっているのに舞台ではいつも大失敗。あたかも今までの過酷な練習はなかったかのよう。。。緊張するだけではなくまともな音さえ弾けないのです。

そんな中アメリカ人の歌の生徒との伴奏の案件がありました。その歌の生徒は学校内で行われるワークショップに来る有名な先生からのレッスンで歌いたいから伴奏者が必要で私が指名されました。その生徒と先生は前日に、’この日のこの時間にリハーサルを行ってその後に本番で歌いましょう’と言ってくれたのでその時間にリハーサルに行ったら既に生徒はステージで歌い終わっていて、周りにいた生徒達が私をシラっとした感じで見ていました。私には一瞬何が起こったのか分からず’これから歌うんでしょ?’とその生徒に聞いたら’既にあなた抜きで歌い終わったわよ、どうして本番にいないの?無責任な人ね。’と言われ、当日のスケジュール表を見たら勝手に私の出番の時間が変わっていました。私は信用を失った事、無責任な行動をしていない、でもそう捉えられている、誰も伝えてくれなかった、皆誤解をしているという事実からかなり感情的になり、怒りと焦りと号泣で自分がおされられなくなっていました。アメリカではよくある話なのですが物事を自分たちで勝手に変えて関係者に伝えない。。。その直後に泣きながら伴奏の先生、飯沼先生のオフィスに行き発狂をする思いで事情を話し、先生から歌の先生に話をするとの事で話は落ち着きました。それでも悔しくて悔しくて感情の行き場がない中、自分のピアノのレッスンがあったのですがその先生からも、’どうして歌のレッスンに行かなかったの?’と追い打ちを掛けられるようにサラッと言われ、さらに号泣。この時点で ’あーどれだけの人がこの事を知っているのだろう。。。’と本当に気が狂うくらい怒りの頂点に達していました。それからのレッスンは散々なもの。私は一刻も早く汚名を晴らしたい、リハーサルや本番をすっぽかすような人じゃないと言いたい。。。

アメリカ社会に入り込むにつれ、アメリカ生活やアメリカ人、良くも悪くも徐々に実態を知っていきます。このような事はまだまだ序の口で20年もアメリカにいたらアメリカ人と口論なしには生きていけません。色々な問題が後々出て来るのですがそのお話はまたの機会に。

伴奏の事件や自分の先生のレッスンに納得のいかない事などもありピアノの先生を変える事にしました。小さな大学なので変えると言ってもあと一人しかいません。もう一人の先生はアメリカ人男性のピアノの先生でアメリカ各地(カーネギーホール等でも演奏をしている)で演奏をする有名なピアニストなのですが、何しろ怖い。しかもボクシング部のコーチでもあるピアニスト。いるだけでかなーり威圧的。普段から真っ赤な顔をして怒っているかのよう。何か質問すれば ’何てことを言ってるんだ!’と脅されているように話します。その先生の言っている事もあまりシックリ来なく、しかも怖すぎてピアノはあまり上達しませんでした。飯沼先生にコッソリと自分の練習している曲を見てもらってたのですがそれも一時的な事。そうこうしているうちに2回目の学内ピアノコンクールがありました。結果は1位。演奏の内容は全く納得のいかないものです、だってピアノが上達していないのは自分でちゃんと分かっていますから。優勝したのはたまたま。そんな事よりどうやってピアノを上達させようかずっと考えていました。

指揮者専攻の友達は飯沼先生の出身校、インディアナ大学ブルーミントン校にオーディションを受け、合格をしこれから大学院の学位を取りに行こうという所でした。私も飯沼先生のように弾きたい、弾いてみたい。。。

ある日飯沼先生は私に’練木先生からレッスンを取ってみたら?’と提案をしてくれます。飯沼先生の先生です。インディアナ大学の教授で外部の生徒も教えてくれるとの事、でも演奏で学校にいない場合が多いから練木先生の奥様からレッスン取っても良いんじゃない?と言ってくれました。練木玲子先生です。この何気ない一言から私のピアノは劇的に変わるキッカケとなります。このお話は次回にでも。

そういえばこのアメリカ生活の経験をなぜし始めたかお話をしましたでしょうか。私の場合、アメリカに行きピアノを選んだことにより次々と良い事が起こり、人生が救われました。渡米前の私は自分のやりたい事が何もできない自分にかなりイライラしていました。自分はやる気はあって何か出来るのにする場所がこの日本にはない、あきらめるか何か行動を起こすか。。。。答えは何故か簡単でした。全ての事においてアメリカに行って良かった、英語ももちろんですが、それより世界共通の大人としてのマナー、人を意味なく評価しない事、人との話し方や内容、声のトーン、努力を極限以上にする事、自分の限界を最大以上に引っ張り上げてくれるチャンス、そして何より自分の人生に対するポジティブな態度。。。を教えてくれたアメリカ。 成人してから今までの経験が海外で良かったと本当に思っています。こんな凡人でもチャンスをくれる場所/国にとても感謝しています。このお話も後々していこうと思います。

徐々に寒くなってきました。皆様体調管理を気をつけて下さいね。では次回のお話でお会いしましょう!