ハプニングだらけ、成長をさせてくれたアメリカという国 vol.13
語学留学、大学、グリーンカード、ピアノ、仕事の20年(アメリカ生活・ピアノ勉強編)
こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。やっと心理学で卒業はするつもり...だけどピアノの勉強がどうしてもしたい。。。
心理学で大学を卒業しようと毎日必死にクラスに通う日々、でも学位を思い通りに取得できません。最後に自分の決めた研究課題のプレゼンテーションをしなければならないのです、しかも英語で。そんなの無理に決まってるじゃないですか、昨日英語習い始めたばかりなんだし。プレゼンテーションの日が決まってから毎日お腹を壊し続けトイレに2,3時間おきに行き続け、何を食べても太れない、どんなに食べても太らない、どんどん痩せていくという緊張の日が続いていました。そうこうしながらもピアノへの情熱は増す一方、勉強をしたい、授業料が免除になる奨学金が欲しい、どうしても。。。
ある日たまたま知り合った日本人女性の友達に夕食に招待され、彼女は既にビジネスで学位を取得してアメリカ企業で仕事をしていました。こんな小さな町のアメリカ企業に就職してるなんてスゴイと思いつつ話を聞いていたら、仕事がつまらないから日本に帰国するとの事。会社は1996年設立のインターネットの会社で日本に沢山の顧客がいて彼らの為に通訳翻訳の仕事をしているけど帰国すると。私は即座に’その仕事がしたい!’と彼女にその場で伝えました。とにかくピアノの勉強のためにお金を稼がないとという目的の為です。彼女は即座に’そう?それならAkikoを私のボスに紹介するよ’と言ってくれそのまま話は運んでいきました。
その頃一緒にアパートで同居していたユーフォニウムを弾く女性がピアノの先生に私を推薦してくれ、奨学金を取れるよう計らってくれたりオーディションを受けたりしたのですが、緊張の中でのオーディションは散々なもので全額の奨学金は取れなく授業料は自費という事が決まりました。(あとで分かったのですが私のピアノの先生は私がそれ程ピアノに真剣だとは思ってなく全額奨学金も聞き流していたようです。)
そして心理学でやっと卒業。。。
卒業して日本に帰国する友達が教会での礼拝の伴奏の仕事を紹介してくれたり、と仕事が徐々に増えていきました。アーカンソー州リトルロックのBenihanaレストランでも夜に仕事をしたりと昼間はアメリカの会社での仕事、夜はレストランで仕事とポンコツの車であちこちお金を稼ぐために四苦八苦していました。
心理学を勉強しているある日、キジトラ母猫とその子供の黒猫に出会いました。黒色の子猫はとても可愛くて親猫と共にアパートに入れていたのですがそのうち親猫だけ何処かに行ってしまい。。。その黒猫を飼う事にしました。名前はニャン太郎。女の子で初めての家族です🐈ペットは実家では徹底してダメだと言われ続けていたのでやっと自分でペットを飼うことが出来て本当に嬉しかったのを覚えています💓でも一日中夜まで仕事をしてニャン太郎がつまらないと思い、レストランに行く夕方には外に出して遊ばせていました。ある日の夜、レストランから帰ってきてニャン太郎の名前を呼んでも返事がありません。毎日帰ってくるのにおかしいな、と思い呼び続けているとか細い声で’ニャアア~’と声がします。でも声が近づいてきません。夜11時半くらいでしたがアパートから出て探してみると階段の下にいました。でも上がってこれないようです。近づいてみると眼振がありました。これはおかしい、まずい。。。と思い、直ぐにアパートに連れて帰り朝に病院が開くまで一緒にいて、直ぐに病院へ直行しました。薬を貰い彼女に投薬をしていたのですが、何しろ猫に液体の薬をあげるのは初めてで怖いんです、かなり暴れるし。その時は少量しかあげられず体調も良くならない。。。後日また病院へ戻り、ニャン太郎の先生に’先生何とかしてください、彼女を死なせるわけにはいかないんです!’と言うと、先生は’とにかく薬をあげ続けて下さい。彼女の自然の治癒力で治るのを待つしかないよ、私にどうして欲しいの?’と怒られてしまいました。それからは毎日ニャン太郎が嫌がっても無理に薬をあげ続け、やっと体調が徐々に良くなってきました。もう私も本当に必死の思いです、死なせるわけにはいかない。一心にニャン太郎に良くなってもらいたくて恐怖と戦いながら薬をあげ続けました。でも良かった、本当に良かった、体調が良くなって。。。
ニャン太郎の体調も良くなり、仕事づくめ(レストランの仕事は半年くらいで辞めました。ちょっと怖いことがあったので。。。)、それでもピアノへの情熱は消えていません。ユーフォニウムの友達、指揮者希望の友達などを巻き込み、私がどれだけの情熱をもってピアノの勉強をしたいか教授たちに伝えて欲しい、自分の先生にもお金が無いので全額の奨学金が欲しい旨を伝えました。私の必死さが伝わったのか心理学で卒業してから1年後ピアノの勉強の為、全額奨学金を獲得し大学に戻ることが出来ました。(小さい大学だったから出来たのかも知れません。)
ピアノを勉強できる、やっと。やっと自分のやりたいことが出来る。本当に生きていて良かった、ピアノの勉強が出来るなんて信じられない。。。
昼間は音楽/ピアノの勉強で大学へ、午後は生活費を稼ぐためアメリカ企業で仕事、夕方夜は大学でピアノの練習と勉強、週末は教会での仕事と大変なように聞こえるかもしれませんが、全て自分で決断した事。かなり充実した毎日を送っていました。英語の問題は相変わらずで、今度は心理学ではなく音楽の単語をドッサリ覚えなければなりません。それはそれでかなり大変なのですがそのお話はまた後日。
ピアノ専攻で大学に戻ってからある日、音楽学部で重要な人物に出会います。その女性がいなかったら今の私はなかったと思います。
アメリカにいると良い事も悪い事も行き当たりばったりに沢山あります。日本では決して巡り合えないような人達にもある事がキッカケで目の前に居たりして。。。次回その女性の事も含めお話をしたいと思います。では皆様良い一日を!Have a nice day!