ハプニングだらけ、成長をさせてくれたアメリカという国 vol.9

語学留学、大学、グリーンカード、ピアノ、仕事の20年(アメリカ生活、英語勉強編)

こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。アメリカ生活3日目の夕方にやっと掛け布団を買いにウォールマートに行きました。

初めて入るウォールマートはとても巨大で全ての物が目新しくワクワクです。アーカンソーに住む前にアメリカには2回行っていましたがこんなに巨大なスーパーマーケットには行ったことがありませんでした。電話を買ったらと寮のRAに言われていましたが私の感覚では1996年頃の日本では電話なんて10万円くらい?するものをそう簡単に買えって言われても。。。と思いながら電話を探すとなんとたったの10ドル。かなり簡易的な物ですが日本人の友達も同じものを買ったとの事。なので10ドルの電話機をかごにいれ、掛け布団も種類が沢山あってとても安い!その他にも色々買ったと思いますが必要なものを買い寮に帰宅。やっと布団をかけて寝ることが出来ました。。。(冷水シャワーは結局そのまま3ー4分くらい出し続けていたらやっとお湯が出てきました、あー。)

それから数日中には新入生の為のオリエンテーションがあり、1学期分の授業料と寮の費用、食事代の支払いを済ませ、学校のカフェテリアの場所もわかり、自分の生徒IDも作り本格的にUCA(University of Central Arkansas)の語学学校の生徒として生活が始まりました。

その中でも何がなんだか分からなかったのは皆でビジネス学部に行きイーメイルのアカウントを作るという事でした。1996年の日本で’イーメイル’という言葉も聞いたことがなかった?と思います。そのイーメイルが何なんだっ、なのですがいつの間にか学校のイーメイルのアカウントが作られてこの事もチンプンカンプン。

語学学校の授業はそれ程難しくはありませんでした。ですが今でも覚えているのが授業の一環で図書館に行って本を読もうという事になり初めてアメリカの大学の図書館に行きました。日本の市営の図書館とは大違いでとても綺麗で大きくてそこにいるだけでもワクワクしてきます。そのうち子供の絵本のあるコーナーに先生とクラスメートと行きました。そこで本を読もうという事になったのですが、当たり前にもそこにある本は全部英語。子供の絵本とはいえ本を開いても全く意味が分かりません。私の語学力はアメリカの子供3,4歳以下なんだと思いかなりショックでした。

授業は午後2,3時くらいで終わりその後は各々宿題をしたり遊んだり勉強を独自にしたり。寮と図書館、語学学校の建物の辺りをいつも歩いていると毎日同じ人達に出会うようになりました。到着した2日目に同じ寮で会った女の子たちにもキャンパスで会うようになり友達になりました。彼らはマレーシアからの留学生、中国からの華僑でマレーシアに住んでいたとの事。ただマレーシアという国はイスラム教の国で彼らは短大しか出る事が出来なく交換留学の制度があるこの大学に学士を取りに来たとの事でした。へえ~と思い、他の国ではそんな事になってるのかと彼らの話を聞いていると大学の授業が難しすぎる、全部英語だから、自分がお馬鹿さんになったみたい、とすごく落ち込んでいました。私は相変わらず喋れないので’No~’とかしか言ってなかったと思いますが、1年後には私も結局彼らと同じ心境になりました。そのお話はのちのち。。。

学校の授業はいいけれど何しろ喋れない、聞き取れない。寮の部屋のルームメートはなんと180センチもあるアメリカ人の心理学専攻の女の子で、もちろん何を言っているのか全く分からないのでお互い無言。。。

そんな中でもマレーシアの友達と一緒にいる事で徐々に、本当に少しずつですがかなーり遠い記憶の単語が引き出され、昔授業中に習ったであろうLとR、Aの発音の仕方などを思い出しながら恐る恐る口から単語が出て来るという日々が続きます。マレーシア人の新しい友達が出来るたびに違った話も聞け、何人かは私の発音を矯正してくれ(あまりにも酷い発音だからです、恥ずかしい話です。)徐々に友達の輪が広がっていきました。

英語があまりにも話せないし聞き取れないし単語の量も限られ過ぎてるし、語学学校はいいけどもっとスピードをあげないと本当にダメだと思い、ある日図書館で日本から持ってきた辞書を勉強していました。それを見たマレーシアの友達は私を笑っていましたがもうそんな事はどうでもいいんです、何しろ英語が分からないので。(キャンパスの外にある発音を矯正してくれる専門のセンターSpeech Language Pathologistのいる所、にも行き専門家に自分の発音を矯正してもらいました。しかも無料。)

マレーシアの友達の輪がどんどん広がり勉強の後でも学校のテニスコートでテニスをしたり、車でボーリングに連れて行ってくれたり、学校のフットボールの試合を一緒に見に行ったり、全てが初めてで新鮮でとても楽しい時間を過ごしていました。時が経つにつれ、私の英語も少しずつ上達していき一番下だったクラスから、真ん中、一番上へとクラスが変わり、徐々にアメリカの大学に入学する日が近づいてきました。

これから受けるであろう大学の授業勉強の過酷さ、ここから地獄が始まるとも全く知らず。。。

英語などの新しいチャレンジは毎日のように続きます。また次回そのチャレンジについてもお話をしたいと思います。では又!