ハプニングだらけ、成長をさせてくれたアメリカという国 vol.6
語学留学、大学、グリーンカード、ピアノ、仕事の20年(留学準備&出発編)
こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。ニューヨーク/オレゴン1人旅3日目のお話です。やっと高校の友達に会うことが出来き、安心できたところです。
ポートランド国際空港で友達に会いやっと安心出来ました、本当に。。。日本人、顔なじみの友達は本当にありがい事です。それから彼女のアパートに車で行きました。後々自分も経験するのですが引っ越しを頻繁にする事はアメリカでは当たり前。この時も以前の彼女の場所と違った所での2日の滞在となりました。(以前の所はどろぼうが入ったので怖くて引っ越しをしたとの事、コワイ。)
着いた日は既に夜に差し掛かっていたのでアパートに到着そうそう外出をし夕食を食べに行き、それも簡単に済ませ又アパートに戻ってきました。彼女のアパートに戻り机の上を見ると学校の教科書が広げてあり、もちろん分厚い英語の教科書。英語がビッシリでノートには彼女の手書きの英語が沢山書かれています。羨ましくなりました、自分は何をしているのだろう。。。どんどん遅れを取っている事に焦りを感じます。かなり考える所はありますが数年ぶりに再会した昔の友人と話をし、その日は眠りにつき。。。
次の日は海辺のティラムークというチーズで有名な街やアストリアというワシントン州国境際まで行くとの事。(それから後に私はワシントン州に住む事になります。)彼女が私が好きそうかもという場所に連れて行ってくれ、海辺のレストランではクラムチャウダーが有名というのでそこに入ったら、早々にだれかのバースデーパーティーが行われていました。そのうちに歌が始まり、それから讃美歌の合唱がレストランにいる人々の間で始まりと、日本では全くあり得ない光景を目にしながら、有名なクラムチャウダーが来ました。一口食べた瞬間から’おおっ’と声に出るくらいとても美味しく、窓際の席に座り海を見ながらのスープは格段に美味しい物でした。それからティラムークチーズ工場に行き、チーズが作られている工程を見学し(後に私は結局ティラムークのアイスやチーズを毎日食べる事になります。)、そこで売られている巨大なアイスクリームを食べアストリアへと向かいました。友達がいて楽しいし安心しているし時差ボケもあるしで結局道中は寝てしまったのですが、友達が起こしてくれてワシントン州とオレゴン州の堺にあるアストリアの素敵な夜景を見せてくれました。
次の日は日本への帰国の日。その前にアメリカのモールを見せてくれるとの事でモールに行き友達が美味しいというシナモンロールを私への手土産としてくれ、空港へ向かい日本へと帰国しました。。。
日本に帰国した私はもちろん留学への決心は変わることなく新宿伊勢丹でお財布を持たずにせっせと仕事をしては家に帰宅する日々を送っていました。そのうち友達は7年の留学生活を終了し日本へ帰国するとの事。私の渡米の時期は迫っています。新宿伊勢丹で会い1996年の8月10日に仕事を辞め、13日に渡米をする予定だと伝えました。友達は成田空港に見送りに行くと言ってくれとても嬉しかったです♪(でも退職3日後に渡米って。。。と言われました。)
留学の準備を進めますがアメリカ生活がいったいどういう事になるのか分からず取り合えずスーツケースは巨大な物を2つ。その中には爪楊枝から裁縫道具、キャンプ用具ではないかと思われるプラスチックの食器類まであらゆるもの(もちろん英語の辞書も)を詰め込み準備は完了?
そして重要なお金。コッソリアメリカの大学学位を取得したい希望があったので5年の学費と生活を自分で作り出さなければいけません。かなり貯金しました、だってアメリカに脱出したいから。アーカンソー州にある全米でも1,2位くらいに学費の安い大学を選びました。これだけのお金があれば何とか自力でやっていけるかもしれないっ!と思い、ある程度は米ドルに交換し、少しトラベラーズチェック、あとは自分名義の初めてのクレジットカードを持っていく予定にしていました。
新宿伊勢丹の仕事は留学をするので退職する旨は伝えていて送別会も終わり、あとは渡米するのみ。両親は相変わらずしらん顔です。まあいいんです、彼らのお金で何かをするわけでもないし自力で全部やりたい事をするだけ。私の願いが通じたのかかなりの円高だし留学するタイミングはバッチリです!
京成スカイライナーで成田空港まで行く予定で大宮駅から京浜東北線で日暮里駅到着。そこまで母だけは来てくれて’がんばるんだよ’との一言。今まで何があってもそんな事を言われたことはありません。少し感情が揺らぐところはありましたそれでも私は1人で成田へ向かい、空港に到着したらどこで待ち合わせとも約束をしていなかったのに友達の顔が直ぐ目に入りました。彼女が嘗て成田から旅立ったように私を送り出そうとしてくれています。
友達とベンチに座り少しお喋りをしながらも私の飛行機のボーディングタイムのアナウンスが流れます。何だか複雑な感情です、友達の顔にもそれが表れていました。もう引き返せない、引き返したところでどうするの?怖すぎです。。。そのまま友達に最後まで手を振りながら下りのエスカレーターで入国審査へと向かいます。問題もなく通過し、ゲートにも一人で到着。飛行機に乗り込みカリフォルニア州サンノゼ乗り換え、目的地のアーカンソー州リトルロックへと向かいます。もう知り合いも家族もいない、会う予定の人もいない、誰もいない、何があっても1人でやっていく、全くの見知らぬところで1人で人生を出発しようとしています。。。
これからアメリカ人でさえも知らないアーカンソー州での生活。どうなるのでしょうか。。。次回のお話で又お会いしましょう!