ハプニングだらけ、成長をさせてくれたアメリカという国 vol.1

語学留学、大学、グリーンカード、ピアノ、仕事の20年(留学準備編)

こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。今までお話をしていなかった私の20年のアメリカ生活について少しお話をしようと思っています。

ピアノは5歳から習い始め、唯一ピアノだけは褒められる趣味でした。なぜかピアノだけはスムーズに弾けることが出来、新しい曲をもっと弾いてみたい!という強い心を持ちながら時は流れ。。。

父は建築家、母は専業主婦、姉は美術大学生という普通の家に生まれ、そのまま将来に対する準備などなく漠然と時間が過ぎ、高校の時はクラスメートの2人の女子生徒はアメリカに留学するとの事。私もしてみたいっ!と思い両親に相談するももちろん大反対され、惰性で生きる毎日を繰り返す中、姉がヨーロッパに夏の間留学に行ったりと周りの人達は海外と関係のある事をし始め、その一方で私は人生に目的も見いだせず~。

そんな中でも自分の中に沸々としているエネルギー、’何か絶対出来るはずなのに。。。!!!’という心の叫びのようなものは常にあった気がします。

ある日友達4,5名くらいと話をしていて’〇月くらいに海外旅行に行こうよ!’という話が出て、ボーっと話を聞いていたらどうやらフィジーに行く事が決まり初の海外旅行に行きました。飛行機だって修学旅行で沖縄から東京に帰ってくる時に1回だけしか乗った事ないし、飛行機に乗ったとたんに全てが英語になるし、フィジーに到着したら完全に別の世界だしで(かなり蒸し暑い)、日本で鬱っぽく食欲もなくやる気も全くなく毎日を過ごしていた私にはとても素晴らしい経験でした。(旅行中友達も英語を喋れないけどそれでも勇気を出して人に話しかけたりしてる中で、私は怖くて全く英語をしゃべろうとしない。’なんで英語喋らないの?全く喋らないよね’と1人の友達が私に笑いながら言った事があとで新しい人生を踏み出すきっかけになるとは考えもしていませんでした。)

帰国してからは’やはり海外に行きたい、英語をしゃべりたいっ’という思いが強くなり始め、それからは仕事で得たお金の殆どを貯金し始めました。お金を使わないようお財布は持ち歩かない、何かあったら定期で仕事場から家に帰ってくればいい、お昼は母にお弁当と水筒を用意してもらい、と50円のカップコーヒーでさえも100円のペンでさえも、お金は絶対に使わない事を決めていました。

長くなるのでこの辺で今回は区切りたいと思いますが、よくよく思い出してみると1996年の8月13日、今日は8月15日なのでたったの2日前に自分の人生を歩き出したのかと、アメリカ行きを決心して本当に良かったと思っています。アメリカでの壮絶な20年がなければ今の私はあり得ない、かなり大変だったけどそれでももう一回チャンスがあるなら絶対に又チャレンジしてみたい!人生で一番充実して楽しかった年月です。

もし宜しかったら続きも読んでみて下さいね。アメリカに渡米した時の事がつい最近のようです♪