ハプニングだらけ、成長をさせてくれたアメリカという国 vol.7

語学留学、大学、グリーンカード、ピアノ、仕事の20年(いよいよ留学編)

こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。成田空港で友達に手を振り別れを告げアーカンソー州へと旅立ちます。1996年8月13日の事です。

5歳からピアノは習ってはいたものの音楽高校や大学へ進むことは両親の反対で許されず目的を失った人生。くだらない事ばかり考える毎日。どうにかして立ち上がらなければ、これからの自分のために!両親からの’留学なんて無理なんだから1年で早く帰ってきなさい’という言葉は頭に刷り込まれていましたが私はそのまま自分の情熱と直感に従いアメリカという未知の世界へと恐る恐る歩みだします。

成田からサンノゼへは直行便なので問題なし。サンノゼで1泊する予定でモーテル(格安ホテル)を予約していました。サンノゼの空港からモーテルに電話をし迎えに来てもらいたいけど電話のかけ方も分からないしお金を幾ら入れたらいいのかも分からない。どうにかしてモーテルに繋がり迎えに来て欲しい意志は伝えたものの電話口で何を言っているのか全く分からない。空港の外に出てホテルの送迎の場所らしき所(全く確かではない)で待っていてももちろん私を迎えに来る車はなし。又空港内に戻って電話のかけなおし。繋がって同じことを言い、同じことを言われ、何を言ってるのか分からず、空港の外で今度は別の場所で待っているけどもちろん迎えはなし。この繰り返しを3回位した後でもういいやと思い、怖いけどタクシーに乗り住所を手渡しやっとモーテルに到着。

フロントで何か言われたけど全く分からずそのまま部屋に直行。この時点でニューヨークの予行練習は全く役に立っていません。夕方になりつつで食事をしようと思っても外に出るのがとても怖く近くのガソリンスタンドに行き簡単なものを購入しそれが夕食。次の日はモーテルについている無料の朝食(ドーナツやベーグル)を食べモーテルの車でサンノゼの空港まで行ってもらいました。

サンノゼからアーカンソー州リトルロックに行く飛行機に搭乗します。いよいよだっ、学校の人が迎えに来ているはず!と思いながら飛行機で初めてのアーカンソー州。インターネットも1996年の日本には普及していなくアーカンソー州の情報なんて全くありません。後から知った事ですがアーカンソー州はアメリカ合衆国の南部に位置する州でクリントン元大統領の出身地。全米でもトップクラスの治安の悪さや識字率の低さ、肥満は最悪で有名だったけどクリントン元大統領のお陰でかなり改善されたとの事。そのような場所での生活が始まります。空港について自分の荷物を受け取り、ボーっとしていると学校からの迎えの人らしきアメリカ人男性を発見。(学校の名前はUniversity of Central Arkansas, 通称UCA)フレンドリーな感じで私にしゃべりかけるも全く何を言っているのか分かりません。分からないのにその人について行き、その後コロンビア出身の女の子と数名の生徒と一緒に学校の車に乗り込みその後大学に向かいました。

学校へ行く途中の道はとても新鮮で珍しく、お迎えのアメリカ人の男性はみんなと楽しそうに英語でお喋りをしてるけど、私はただただ沈黙。。。そのうち学校のインターナショナルオフィスに到着。何がどうなっているのか全く分からないけど沢山の人がいて、どうやらアメリカ人ではなく世界中から来ているインターナショナルの生徒たち。私みたいに語学学校に行く人もいれば大学に直接行く人もいるっぽい。皆平気で流ちょうに英語をしゃべっています。本当にペラペラと英語のお喋りが目の前で行われていて、日本でこのような場面に遭遇した事さえありません。あっけに取られボーっとするだけ。私は何もわからない。英語圏ではない人たち、でも英語のスキルは私よりずっと先を行っている人達を本当に羨ましく思いました。

それから名前を一人ずつ呼ばれ殆どのインターナショナルの生徒は彼ら専用の寮に部屋が割り当てられてて、私はその寮ではなく別の所。何で私だけ?と思いましたが何も言えず。。。私の寮のRA(寮の管理長)の女子生徒が私と一緒に寮まで行ってくれました。

アメリカの大学のキャンパスを見るのも、歩くのも初めてで敷地は広大。自分がどこを歩いているのか全く分からなくなりました。そんな光景を目にしながら寮に到着し部屋を紹介してもらい、何か説明をしているけど全く分からずそのまま広い部屋にポツンと1人だけ。。。。。

荷ほどきをしますが8月中旬で冷房が強風で私を吹き付け凍えるように寒いです。冷房の温度計もどこにあるのか分からないし、コンセントの場所さえも分からない。RAの女性が隣の部屋にいるようなので恐る恐るドアをノックしかなり下手な英語で取り合えずコンセントの場所と冷房の温度の事を聞き、その後RAは自分の部屋に戻り又一人ぼっち。。。お腹が空いてきたけど怖すぎて部屋から出られません。自分の寮に来る途中に見たキャンパスの広大さを見たらとてもじゃないけど部屋から出るなんて!出たらもう二度と戻ってこれなくなると思いました。なので初日の夕飯はなし。お腹が空いていますが迷子になるよりはいいだろうと思い、シャワーを浴びたいのですが又問題発生。日本だとシャワーを5秒くらい出したらお湯が出て来るはずですが寮はとても古くお湯がなかなか出てきません。’このシャワーはお湯がないんだっ。。。’と勝手に思い込んで水シャワーを凍えるように浴びてベッドへ。。。掛け布団は持ってなくベッドシーツしかないのでそれに包まってガタガタ震えながら就寝。。。

もう既に後悔で日本に帰りたくなっていました。片道の航空券しか買ってなかったし、帰りの航空券を買うにも電話のかけ方さえも分からない。。。私のアメリカ生活の初日はこんな感じで始まりこれから思いやられます。本当に私は大丈夫なのでしょうか。。。次回又お会いしましょう!