ハプニングだらけ、成長をさせてくれたアメリカという国 vol.10
語学留学、大学、グリーンカード、ピアノ、仕事の20年(アメリカ生活・大学勉強編)
こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。今回はアメリカ大学生活の知らなかった事、勉強についてお話をしようと思います。
語学学校は9月始まり12月まで、1月から5月、6月から8月終わりという3学期制(これはセメスター制。クオーター制は4学期制。アメリカのお金にもクオーターというお金があり1ドルを4分割する意味から25セントの価値)。私は全くそんな事も知らずに楽しく学校に毎日行っていました。ある日、日本人の同期から12月になったら寮を出なきゃいけないらしいよとの事。私にはよく意味が分かりません。彼女はマレーシア人の友達のアパートに冬休み中滞在させてもらう予定だけどAkikoはどうする?と聞いてきます。何の事か全く分からず取り合えず彼女と同じマレーシア人のアパートに滞在させてもらう事にしました。
秋学期が終りアメリカ人生徒はクリスマスホリデーなので自分達の家に帰ります。学校の授業がある時は寮やアパートに住むけど、学期が終ったら直ぐに自分の家に帰る、そして次の学期が始まると同時に又寮やアパートに戻ってくる、とアメリカの大学生活ではこのような事になっていました。
マレーシア人女の子達との生活が始まりました。もちろん英語でのコミュニケーションで食料代、電気代、アパートの家賃の分割など話し合い住むところは確保しました。しかし大学のキャンパスには人の気配がありません。アメリカ人学生は自分の家に戻りクリスマスホリデーを楽しんでいます。私には友達がいるけど家族もいないし、車もないから何処にも行けない。行動範囲はかなり狭まっていました。その辺に行くだけ。(町にはバスもタクシーも電車もありません。)歩いて行ける距離はガソリンスタンドやチャイニーズレストラン。歩けど歩けど何処にも辿り着かない国の巨大さ。。。
埼玉県に住んでいてアメリカに来る寸前まで新宿伊勢丹で仕事をしていた私は自分でも知らないうちに都会の人間になっていたようです。埼玉県の実家の周りは5分も歩けば郵便局もスーパーも銀行も駅もタクシーも全てがありました。アメリカではどこにも辿り着けません。(自転車さえ持ってませんでした。)1996年はネットショッピングもアマゾンもありません。町にはウォールマートとマクドナルドくらいなのでかなりの田舎町。そのうち何処にも行けないイライラがたまり不機嫌になり勉強もしたくないしTVをつけても英語で全く分からないし面白くない。1人で誰も知らない島に住んでいるような環境です。マレーシアの友達は中国語ばかり喋っていて話の輪に入れないし彼らだけで行動をする事もあったり、そうなると自分だけ誘われずにアパートにポツンと1人。初めて孤独というものを感じ日本にいた時の自分は恵まれていたんだ、と感じました。。。(後々もっと酷いことになるのですがこの時はまだマシ。)
冬休みも終わり春学期が始まりました。まだ語学学校ですが真ん中のクラスにやっと入れ英語の勉強を続けます。でも冬休み中に頭を休めたお陰?英語に耳が慣れてきた?分かりませんが授業に戻った時に英語がもっと聞き取れるようになってるんです!自分でも驚きました。何だか言っている事がわかるようなと思い始めると勉強がより楽しくなります。ある日、学校の授業でペーパーを書かなければいけなく図書館にあるコンピューターにWordがあるからそれを使って書く課題があったのですがWordの事も何の事やら。コンピューターもあまり使った事がないのにどうすればいいんだっ、なので友達に助けを求めました。コンピューターのログインの仕方、パスワードの作り方、Wordの使い方など初めから教わり、かなり四苦八苦しながらペーパーをどうにか書き上げました。(だれも’Undo元に戻す’というボタンを教えてくれず、ペーパーを書きながら間違えたり元に戻すことが出来なくなったら、また最初からの書き直しを何回もしたりと果てしない作業を無駄に延々としていました。)
そんな事をしながら夏学期になり語学学校も一番上のクラスの仲間入りをすることが出来ました。やはり喋るより聞き取る方が先に上達したようで相手の言っている事は少しだけわかるけどテンポよく返答が出来ない、取りあえずこちらの意思を伝えるくらいは出来ていたと思います。夏が終わり秋からいよいよ大学1年生。アドバイザーと新学期に何のクラスを取った方が良いかの話をし、クラスを登録し、授業料、寮とカフェテリアの料金を払い、新学期が始まりました。これからの新しい環境にやる気でいっぱいです!
初めてのアメリカの大学の授業。アメリカ人に囲まれての授業。。。全ったくわかりません。今まで以上に全くわからない。何を言っているのか一言も分からない、どの授業を聞いても全く分からない、毎日これが続きます。周りにいるアメリカ人のクラスメートはせっせと授業中にノートを取っているけど私のノートはただの白紙。だって何も聞き取れないから。語学学校で分かっていた英語は何だったんだ?一番上のクラスまで行ったのに何も役に立っていないみたい、授業料の支払いもしたから今更やめる訳にもいかない、どうしよう。。。どうしたらいい。。。かなりまずい、早く何とかしないと。。。早く、早くっ。。。。。。。
語学学校での楽しい日々はもうなくなってしまい、過酷な大学の授業が始まりました。この時点ではただ単に授業が分からない、かなり焦っているという事だけ。どうしたらいいのか全く分からない。追い打ちをかけるように大学の勉強はすごい速さで進んでいき、そのうち本当の過酷さが分かってきます。アメリカ大学勉強の地獄へとまっしぐらの道をたどります。大学の勉強について次回又詳しくお話したいと思います。皆様、良い1日を!