ピアノ演奏会を終えて…
ピアニストの存在
こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。10月20日(日)のピアノソロの演奏会を終えてまだまだ演奏の事を考えてはいますが毎回演奏会をするたびに学ぶことがあります。
アメリカから帰国後は船橋から都内まで通う会社員/週末のピアノの先生をしていました。2022年にこの東菅野に引っ越しをしてきてからは完全にピアノを教え演奏をしています。何が違うか。。。自分でも全く予期していなかった変化。ピアニストとしての自分です。ピアノを教える事はアメリカで長年してきた事なので自然な事なのですがピアニストの意識レベルが一段別の場所に上がったように思います。
ある日Youtubeの動画撮影のためにドビュッシーを練習していました。練習をしては動画を取り自分の演奏のどこが悪いのかをチェックし、また練習→動画→チェックの繰り返しで一向に上手くなりません。そこで思ったのは’もっと真剣に曲に向き合う’という事。ドビュッシーという人物や曲の背景を調べ他の人の演奏も沢山聞き。。。そんな果てしない日々が続きます。
そうこうしているうちに面白くない演奏とすごく素敵っ!と思わせるような演奏の違いを考え始めました。そこで自分なりにアイディアを得て又練習。ある瞬間に曲が違ったように聞こえ始めます。んんん?と思いながらまだ練習。そうしているうちに自分の中から色々なアイディアが出始めます。’こういう感じで弾きたいかも、ここはこういった感じで。。。’と思い楽譜を見てみるとドビュッシーが書いている事と一緒の事を考えていたんです。その瞬間に’あっ、ドビュッシーと繋がった、これだっ!’ 何とも怖い瞬間です。
私が演奏をする意味はもしかしたらここにあるのかも知れません。私は作曲家と私のピアノを聞いて頂ける人達の中間にいる立場。弾いているのは私だけどあくまでも作曲家のメッセンジャーであって、メッセンジャー/ピアニストとして作曲家の残してくれた素晴らしい宝物(楽譜)を理解し演奏が出来るよう勉強をし練習をしてきたんだと思います。作曲家と繋がりながら演奏をする事は全く簡単ではないし簡単になる事もない、全ての人間が出来る事ではないと理解した時に自分はこの音楽の素晴らしさ、作曲家たちの知性と精神性と感情が楽譜を通して、そして時間と空間を超えて今に存在する、そこにもう一度息を吹き込む、それが私の役割なのかもしれないと思っています。
まだまだ練習で籠っていますが少しでも演奏から作曲家たちの素晴らしい音楽がよみがえってきたと感じてくれたら嬉しいです。
これから新しい曲を選びピアノとお話をしながら練習を続けて来年も又皆様に演奏を聞いて頂けるよう頑張ります。演奏会にお越し頂きました皆様有難うございました!