ハプニングだらけ、成長をさせてくれたアメリカという国 vol.35
語学留学、大学、グリーンカード、ピアノ、仕事の20年(インディアナポリス編)
こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。涼しくなったと思ったのに10月でまだ暑い。。。(冷房をつけたり消したり。。。)
前回のお話で必死にインディアナポリスで仕事を探してはいるものの全く見つからず。ピアニストだとピアノだけの仕事を探しているのでは?ピアノの仕事だけ今までしていたのでは?と思われがち?ですが、私の場合はホテルのレストランでお皿洗いも、1日中2か所でのレストランのウェイトレスの仕事も、事務の仕事も、デパートで洋服の販売も、病院事務も、翻訳の仕事も、教会での伴奏の仕事も、もちろんピアノを教える仕事も、仕事の募集があって自分に出来そうなことには常に応募し仕事をしていました。
インディアナポリスでも同じ。ウォールマートには応募はしませんでしたが危険ではないところにはかなり応募しました。でもどれも✖
何か月も何か月もアパートの中に独りでこもりっきり。しかも猫Nちゃんは重篤状態。その中でもある日教会に行きました。
たまたま教会専属のピアニストが辞めるとの事、この仕事に興味ある?と牧師さんに言われ、もちろん即座に’はいっ!!!’と答えました。
その後に沢山の教会の役員の人達と面接をし、手ごたえは〇
結局、教会専属のピアニストはその後、次のピアニスト(私)が彼のポジションを待っているのを知って気が変わったのか、その仕事を辞めませんでした。
また絶望の中に落とされました、無職。希望というものはここにはないのだろうか。
貯金はあるけど、このままの状況を続ける訳にはいかない、どうしよう、どうにかしてこの軟禁状態から脱出しないと、本当に頭がおかしくなりそう。。。
なにか行動は起こしたいけど躊躇する気持ちは絶大です、だって猫Nちゃんを動かすわけにはいかない、思い切って引っ越しをしたいけど、でもこのままではどうしようもない。
次に私のした事はアメリカにある日本企業の人材派遣会社に登録をしました。もう何でもいいから登録/応募しちゃえ、です。もう登録をした事すらもすっかり忘れていたある日、その会社の女性から電話がかかってきました。
始めは何の話か全くわからずだったのですが、遠い記憶をたどると自分で登録したなあとやっと思い出し、話を聞いていたらインディアナ州のコロンバスという所(大学院のあるブルーミントンから更に南下した場所)の車の部品の会社で事務の人を募集しているとの事。
もちろん私は面接に行きました。日本企業かあ、何だか怖いけど、とにかく会社の人に会って話を聞いてみないとという事でその日本企業に行きました。取り合えず日本語は分かるであろう、自分の口から日本人の大人としての適切な日本語が出てくるかは全く分からないけど。
ブルーミントンを通過してコロンバス。この場所には日本企業が数社ありました。ピアノばかり勉強していた私は相変わらず全く知らず。(インディアナポリスの空港で見かけていた日本人らしいビジネスマンはここで仕事をしていたのかなあ、と今更思い出しながら。。。)
高速道路を一人で100キロで走りながら辺りを見回すと、工場らしきものだけが見えてきて、長い巨大なトラックが私の脇をスゴイ勢いで走っていきます。巨大トラックがつくりだす風に車を飛ばされそうになりグラグラしながら、’高速道路を運転するの、危ないんじゃない?’と嫌な予感がします。
会社に到着し、辺りを見回しても工場だらけ。殺伐とした雰囲気がなんとも言えません。’ピアノの世界とは大違い。。。’
この日本企業で採用されたと思いますか?インディアナポリスからコロンバスまで高速道路を100キロで1時間みっちり運転してやっと到着する会社。危険すぎて悩むところです。
ここでも新たなドラマがあり、もう何で自分だけこんな事になるのか、何が原因なのか、どこで間違ったのかと色々考え、本当に気分が沈んできてまた大泣き。。。
今はドビュッシーの’塔’という曲を練習しています。ドビュッシーはインドネシアのガムラン音楽に影響され、この曲を作曲したよう、私には鉄琴のような高い音がキラキラ鳴っている、そしてすごく深い霧の中にインドネシアの寺院の塔が見えそう、そんな事を想像させてくれる音のつながりかなとも思っています。では又次回のお話でお会いしましょう!I hope that it'll be cooling down soon...