ハプニングだらけ、成長をさせてくれたアメリカという国 vol.23
語学留学、大学、グリーンカード、ピアノ、仕事の20年(インディアナ大学編)
こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。今までのお話の経過は。。。高校生の頃から何故に周りに海外に行って学位を取る友達やサマー講習を取りたいという人がいた環境。私の家はごく普通の家で母は専業主婦、父は建築家、姉は中学校の美術の先生、私はピアノ?ピアノは反対されながら趣味程度という両親からの刷り込みがある中でも、それでも自然と自分の内面から出て来る音楽への情熱には逆らえませんでした。ピアノのより深い所を知りたい。。。
音楽への情熱を忘れる事無く自分で計画をし資金も調達した留学から既に10年が経っていました。日本で留学のために用意していたお金も全てなくなり、アーカンソーの大学で心理学を卒業した時には銀行口座にたったの500ドル。そこから昼間は大学近くのチャイニーズレストランで仕事、その後午後3時頃から車でドライブして首都のリトルロックの日本食レストランで夜の11時まで仕事。家に着くのは夜の11時半くらい。大学にピアノ演奏の学位で戻ってからはその2つのレストランでの仕事を辞め、教会、アメリカの会社、大学のアシスタントシップも取り、子供にもピアノを教え、などそんな事をしながら生活費を稼いでピアノの練習をし勉強もしていました。ニャン太郎ちゃんには寂しい思いをさせたかもしれませんが、シングルペアレントはしょうがない。。。アメリカで生活をするには働かないとです。(両親からの援助はなし、彼らには彼らの生活がありますのでね)。そんな事をしながらやっと希望のインディアナ大学大学院に入学できた!奨学金も取れた!大学の事務の仕事も続けられる!と喜んでいるのもつかぬ間。ほんの一瞬の喜びでした。
音楽史のクラスの要求は生徒たちの精神の限界、正気と狂気の堺まで追い詰めます。せっかく入学できたチャンス、日本にいた私からは想像も出来ない音楽を学ぶには素晴らしい環境。。。私なんかが絶対につかめないであろうチャンスをやっと掴めた!ではあるけれど、授業でクイズ(小テストみたいなもの)と言われれば30曲くらいの曲をひたすら聞き(1曲につき1,2,3,4楽章まである曲もある)その中から作曲家の名前、タイトルはもちろん、時代背景、そしてある小さな部分を取り出してそれに対しての質問がある。漠然と曲を聞いて質問に答えるなんて無理な話です、だって30曲以上もあるし(楽章にしたら100以上の曲)ずーーーーーっと30曲以上も聞いているとどれがどれだか分からなくなってくるのです。なので授業での集中はかなり重要。教授の声のトーンや顔の表情、話をしている内容で他の部分より微塵でも情報量が多い、強調して言っている場合には’あーここがクイズに出るかも’。少しでもクイズやテストで良い点を取る為には必死です。しかしどうやってそんな30曲以上の曲を覚えられるのか。私の場合幸いにも大学のオフィスで仕事をしている最中に音楽を聞いても良かったので、聞きながら仕事。そして教科書をこっそり隣の机に置いて(何かの陰にして)クイズに出るであろう部分をひたすらひたすら覚える、いつでも、車の中でも、キャンパスを歩いているときでも、いつでも、どこでも。。。
少しでも質問がある場合には直ぐに教授の部屋に立ち寄り自分の質問を聞きます。しつこくない程度に、悪い印象は1度でも許されません。そして一生懸命勉強しています、なので教えて下さい!と必死さは隠さず学びの姿勢を前面に出し続けます。とにかくこちらは必死中の必死なんです、奨学金は何としても失う事は出来ない。のた打ち回っても病気になってもとにかく奨学金は失わず、学位をとって、ピアノの、本当のクラシックピアノの勉強をしたい!なのです。自分にもコミットメントしたし玲子先生にも宣言したし。。。
クイズでその膨大な勉強という事は。。。テストだと途轍もない範囲をカバーしなければならず以前クイズで使用していたノートをまた引っ張り出して(もう2度と見たくないもの!)また同じ勉強の開始です。どんどん進めていかなければなりません、絶対に遅れられない!!!だってソロのピアノの練習だってあるし、室内楽(メンバーを組んで3,4人が一緒になって1つの音楽を作り上げる)もあるし、他の1つの楽器との演奏(伴奏者として)もあるしで朝の5時から夜の11時までみっちりやる事はあって、とにかくどれをとっても少しでも遅れる事は出来ません。日中、家に帰れることは稀です。1日前に覚えるとかそういう考えは全く通用しない世界です。お腹は常に壊れているし、イライラはすごいし、緊張の連続、髪の毛はドッサリ抜けるし。それでも、それでもなんです。日本でどうしていいか分からず腐っていた自分よりはずっとマシ、充実していました。なぜか今すぐ辛い勉強をやめて日本に戻りたいとも思わない。完全にドップリ音楽の世界に入り込んでいる事もとても嬉しくて、本当に音楽に夢中になれる環境に自分がいる。そして夢中がゆえに、自分が日本人とかアメリカ人とか、男性とか女性とか、何の言葉を喋ってるとかもどうでもよくなってくる、全てはピアノのために(悪く言ったら全てを犠牲に)無我夢中に勉強できる、練習できる、自分の力でなんとかやっていけそうな気もする、そんな事が嬉しかったのかも知れません。。。
それでも3年に1度くらい日本に帰国をしていました、4月の初めから2週間くらい。お金が無いので頻繁には日本には帰れませんでした。なぜか過酷なピアノと勉強の世界から→楽しいの世界(日本に帰国)に行く事が怖い気がしました。何が怖いってピアノから離れるのが怖い(せっかく覚えた音符を忘れそう)、自分がインディアナ大学で一生懸命練習しているペースを乱すのが怖い、一度帰国して楽しい思いをしたら現実の過酷な練習に耐えていけるのかが怖かったんです。そして一番怖かったのが逆カルチャーショック。日本人なんだから日本に帰りたいのは当然と思われるかもしれませんが、アメリカの生活文化、英語にドップリ漬かっている事で自分が日本人だったこともスッカリ忘れている毎日。日本に行ったら行ったでかなりの違和感があるんです。飛行機で成田に着くと周りは髪の毛が黒い人たちばかり。日本語が聞こえてくるし日本人が多い(そりゃそうですよね、日本なんだから)。なぜか私には埼玉県に家があって家に行く道も知っている。最寄り駅に着くと何だか’おもちゃの町’に来てしまったような感覚ですごくショックを受けます。全てが小さい、狭い、低い。そして家の玄関のドアを開けると私の両親と言われる人たちが迎えてくれて居間のテレビからは日本語のニュースが流れている。。。すごくすごく不思議でした。逆カルチャーショック?そして自分の部屋に行くと昔の記憶がドッと蘇ってきて頭の中は混乱だけ。そのような状況が2週間くらい続きながらも、アメリカでは出来ない納豆を食べたりお刺身を食べたり。神社やお寺に行ってのんびりしますが頭の中はいつでもアメリカとピアノとニャン太郎、ココちゃんの事ばかり考えていました。たまにピアノの練習を家でしてもあまり集中できない。。。2週間もすると徐々に日本に慣れてきたかな、その頃にはもうアメリカへ帰国。アメリカの自分のアパートに着いて日本にいた時のことを思い出すと何だったのだろう、あの時間は。なぜ日本での記憶がある?殆ど自分ではない誰かの事のように思えてきます。そして又アメリカの生活に慣れるのにも一苦労。頭が混乱しすぎて鬱っぽくなるのです。ピアノにも勉強にも集中できない、でもとにかく時間は無いので無理やり自分を集中させます。時差ボケで気分が悪くなり頭痛や体調が悪くなったりしたこともありました。気がつかないうちにかなりアメリカ人化されていたのかもしれません。
日本からアメリカに帰国してまだ大学の夏休みが続いているのでその間は必死にピアノと勉強の貯金を作っていました。貯金というのは勉強だったら次の学期に登録をする授業を素早く調べ、どの教材が使われるのか、誰が前にそのクラスやその教授のクラスを取ったことがあるかを調べノートを借りれないか、テキストブックは高くて買えないので図書館にテキストブックはあるのかを調べたり、ピアノだったら次の学期のレッスンに弾くものを決めて多くの曲を出来るだけ仕上げるようにする、もう全ては時間との戦いです。ピアノと勉強の貯金、そして大学の事務でもひたすら毎日仕事。なぜここまで自分を酷使するのか。。。私にもよく分からないけど、なぜか自分の中に’もっと出来る、もっとやれ!’と言われている気がするんです。。。
大学院に入学し勉強も始まりレッスンも本格化してきました。まだまだ全ては序の口。次回は勉強、ピアノが良くも悪くもどんどん深みにはまっていくお話をしようと思っています。今年の冬が本格化する前に自宅の庭に球根を植えたのですが昨日見たら芽が少し出ていました。春が徐々に近づいているようです。そしてもう少し暖かくなって欲しいっ!寒くてピアノを弾くのに指が動かないですが暖かいお湯に手を入れると直ぐに温まりますよ♪では次回のお話でお会いしましょう!See you next time!