ハプニングだらけ、成長をさせてくれたアメリカという国 vol.14
語学留学、大学、グリーンカード、ピアノ、仕事の20年(グリーンカード・ピアノ勉強編)
こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。やっと心理学で卒業後、1年の余分な時間を費やし全額奨学金を獲得し、ピアノ演奏の勉強の為大学に戻ります。
この1年の間で沢山の事がありました。アメリカに滞在するためのVisaを学生VisaからH-1Visaへと変更をし、その後で永住権も獲得しました。サポートしてくれたのはアメリカの会社。自分のボスにサポートして欲しい旨を伝えた時には本当に緊張しましたが、小さな町で日本人を見つけるのは彼らもとても大変なようだったので了解してくれ、弁護士も雇い無事に永住権の申請を始めました。とても親切な会社で非常にラッキーだったと思います。本当に本当にありがたい事です。。。
永住権の手続きは日本のアメリカ大使館でしたのですが移民ビザを大使館で頂くまでは面接に何回も行ったり、犯罪歴が無い証明を警察で出してもらって全部の指の指紋を取られ、アメリカ大使館指定の病院で健康診断をしたりとクリアしなければいけない問題は沢山あったのですが、無事移民ビザを1か月後くらい?に大使館で手渡され、それを持ってアメリカに入国。。。テキサス州のダラスに入国をしました。そこで移民ビザを見せたら別の部屋に行くようにと指示され、その場所に行ったら怪しそうな人たちがチラホラ見えます。’えっ、この人たちって違法に入国しようとしている人とか?’と思いながらやっと理解できる英語力を駆使しながらそこにいた怖そうなオフィサーと面接開始です。その時のアメリカの現住所は友達と住んでいた場所、グリーンカードが送られて欲しい場所はこれから独り暮らしをする住所を書類に書きました。そしたらその怖そうなオフィサーが’何で住所が違うんだっ!’とまるで脅しているかのような口調で私に話しかけるので’引っ越しをする予定でグリーンカードが引っ越し後に紛失しないように新しい住所を書きました。’と伝えました。そしたら無言で私の移民ビザの書類にボンボンとハンコを沢山押してくれ、無言で突き返され、晴れてオフィスから解放。不法移民扱いされることもなく自由の身となりました。’あ~こわい。。。。。。。。。。。。’ 日本のアメリカ大使館で発行されている移民ビザで偽物ではないし、どう見たって私なんかテロリストじゃないんだから何なんだ?!と思いましたが空港内で無礼な事をすると直ぐ警察が来るのでここはジッと我慢。後日無事に2年間のグリーンカードが到着しました。’へえ~こういうカードかあ、ふ~ん’という感じ。キラキラしたカードで歴代の大統領の顔がズラッと並んでたり、アメリカの国旗があったり、アメリカンイーグルもあったような。(グリーンカード2年の有効期限が切れる前にネブラスカ州の移民局に書類を送り、今度は10年のグリーンカードを貰いました。)
仕事ですが学校に戻っても続けられるようにアメリカの会社での翻訳通訳の仕事、教会での仕事とピアノの練習に支障のないものを選びました。学費は全額奨学金を獲得したので生活費のかなり安いアーカンソーではアルバイトだけでも生活が出来ました。1人暮らしも始め家賃はなんとたったの月3万円。水道代も含まれています。インターネットもあって人生で初めてのコンピューターを友達から50ドルで買い取り、ニャン太郎も一緒です🐈💓人生初の1人暮らし!準備は全部整いました。あとは大学に戻るだけ。。。
2002年の秋学期からまた大学に戻りました、今回はピアノ演奏の学位を取る為です。ピアノのレッスンは以前レッスンを取っていたピアノの先生にお願いし、音楽の授業へと参加し始めました。
アメリカではドレミファソラシドではなくCDEFGABCなので音符は読めるのに何の音なのかを即座に言えないもどかしさ。。。始めからつまずき、また自分がおバカさんになった感覚が蘇ってきます。音楽理論の授業に出ても音楽専門用語を聞くのは初めて。全て音楽の勉強を英語で1からやり直しです。音楽史のクラスは何となく英語が聞き取れるのでOK、あとは伴奏のクラスを取ったり、室内楽のクラスを取ったり。授業が終わってからは数人ですが子供にピアノを教えたりもしました。
充実はしていたのですがピアノのレッスンが問題となりました。一番肝心のピアノの上達が感じられないのです。自分の先生はとても温厚な人柄で親切に教えてはくれるのですが(なぜか株のやり方とか学校近くの果樹園に連れて行ってくれたりもしました。)、レッスンの最中にCDを聞いて’ここはこうしたほうが良いよ’と言われたりと彼独自の教え方がないような感じ。。。モヤモヤしながらもレッスンを続けていました。
ある日指揮者専攻の友達から’日本人の伴奏の先生が日本から来たっ!’と話してくれました。その時の私は勉強と練習と仕事に忙しくあまり話を真剣に聞いていませんでした。ユーフォニウム専攻の友達からもその先生の話を聞き、後日友達がその日本人の先生のソロリサイタルがあってスゴクスゴク感動して上手かったとの事。’へえ~そうなんだ、どんな感じなのかな?’くらいにしか考えていませんでした、その時は。。。その日本人の先生は飯沼先生という名前で桐朋を出ていてインディアナ大学ブルーミントン校で大学院とアーティストディプロマを取り卒業したとの事。飯沼先生の先生は練木茂雄というピアニストで日本ではかなり有名らしくNHKの教育テレビに出演されるなど幅広くピアノの活動をされているとの事。
そんな事も知らずにある日飯沼先生の演奏を聞きに学校にあるリサイタルホールに行きました。確かヴァイオリンの先生との共演で飯沼先生が伴奏をされていたのですが彼女のピアノは非常に素晴らしく、まるでピアノの魔法でも使ったかのように自然と素晴らしい音楽が奏でられていました。もう感動感動で日本ではクラシックコンサートは行った事が無かったので、目の前でこんなにも素晴らしいものが見れるなんて、聞けるなんて!!!
次の日からは飯沼先生のオフィスに用もないのに唯々お近づきになりたいが為に行き、音楽の話やアメリカ生活の話、インディアナ大学の話など沢山の事をお話しました。話をしたところで私のピアノのスキルが上がるわけではないのですが、飯沼先生の演奏を見た瞬間から先生の音楽に恋をしてしまったような気分でした。先生が伴奏をする度に一緒に舞台に上がりページをめくる役割をし、隣に座って先生の素晴らしい生の演奏をずっと聞いていました。アメリカではよくある事なのですが旅行に出かける時にペットを飼ってる場合には誰かに家に来てもらってペットシッターをしてもらうという役割。先生は🐈を飼っていてフィアンセがカナダにいるとの事でしたのでカナダに行くたびに先生の家に行き猫と遊んだりととても楽しい時間を過ごさせて頂きました。
そうこうしながらも自分のピアノのスキルは全く伸びません。そのうち学校内でピアノコンクールがあるとの事。自分の為と思い自分のピアノの先生にコンクールに出てみたい事を伝えました。それからはコンクールの為に練習をするのですがやはりスキルは伸びません。ある日指揮者専攻の友達(日本の慶応大学を中退して渡米。指揮者にどうしてもなりたくてアメリカに来たらしいです。)を音楽学部で見かけ ’私のピアノを聞いてくれない?’ とお願いをし聞いてもらいました。その後に彼からかなり鋭いピアノのアドバイスを沢山もらい、その時点からやっと自分のピアノのスキルが上達し始めました。でもよくよく考えてみたら、私の友達は生徒、私のピアノの先生は先生、友達からのアドバイスでかなり上達するってどういう事?と自分の先生への不信感が徐々に増してくる中、コンクールの日が来ました。
人生初のコンクール。緊張で他の生徒たちが演奏をしているその音を聞くだけで気分がかなり悪くなるし、心臓はバクバクでもう最高潮に達した緊張は止める事は出来ません。自分の番になりステージに上がったのですがピアノの椅子から転げ落ちるのではないかと思うくらいの緊張の中、友達から言われた通りに演奏をしました。弾き終わってからは全く何をしたか覚えていません。とりあえず生きてステージから戻って来れました。終わった事が嬉しくてそれだけで十分。あーもう2度とコンクールはご免だわ、絶対やらないっ!
結果は何と上位4位の中に入り最終演奏に残れるとの事。はあああああ????この私が???ムリムリムリムリ。絶対ムリだから!!!
そのまま午後は最終演奏でトップ4人が演奏をし結果は私は4位。結果は何でもいいんです、カッコ悪いし恥ずかしいし、気分悪いし、やりたくないし、とにかく逃げたいだけ。。。最悪の気分でした。
後日友達から ’4位おめでとう!’と言われることもありましたが ’ハハハ。。。’と返すのが精いっぱい。その後もピアノは自分の先生から取り続けていたのですが一向に上達しない。ある日伴奏のクラスを飯沼先生が教えるとの事で '絶対クラスを取ろうっ!’
この瞬間からピアノのスキルを上達させる為の真剣な勉強が始まります。次回ではピアノがどのようにして上達していくのかのお話が出来たらと思います。では皆様よい1日を!Have a good weekend !