ハプニングだらけ、成長をさせてくれたアメリカという国 vol.11
語学留学、大学、グリーンカード、ピアノ、仕事の20年(アメリカ生活・大学勉強編)
こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。前回のお話の続きでいよいよアメリカの大学1年生。学校の授業が英語で全く分かりません。
周りのアメリカ人の生徒は必至に授業中にノートを取っている、その姿を見ているとこのままボケっとはしていられない、すごく焦ります。。。
ある日キャンパスを喪失状態で歩いていたら寮のRA(寮長)に話しかけられ、たまたまその時通りかかった日本人を紹介してくれ彼女は’シホさん’というビジネス専攻の女性でした。彼女は妙な帽子をかぶった日本人だったのですが取り合えず挨拶をし電話番号を交換しました。その時に私が学校の授業が全くわからない、と彼女に言ったのは覚えています。彼女はノートをアメリカ人から貸してもらってコピーし、そのノートで勉強をした方がいいと言ってくれました。なるほどね、その手があったか。。。
次の日からクラスに行ってはノートを貸してくださいと言っても断らなさそうなアメリカ人の女の子を選んでヘタクソな英語で話しかけ、クラスが終ってから図書館に直行してコピーをし即座にノートを返す、という繰り返しをしていました。それだってですよ、そもそもアメリカ人に話しかけなければいけない、嫌なんです、勇気がかなりいる事なんです、だって英語が喋れないから。人間誰だってヘタクソな英語を喋って笑われたりバカにされたらイヤじゃないですかっ。それにこちらが何か喋ってもすごいスピードの英語で返答されて何を言ってるか全くわからないし。ノートを貸してもらってもそれを授業が終わってから図書館に行くからノートを返すのに何時にどこで待ち合わせなど全部英語で言わなきゃならないし、怖いんです、勇気がかなりかなりいる事なんです!!!指先まで凍る思いでそんな事をしていましたが、また別の問題。。。
彼らたちの手書きのノート、字が汚いんです、読めないんです。彼らの字が元々汚いのか授業がすごいスピードで飛んでいくように進んでいくから教授の言っている事を即座に書き留めるのに彼らも必死でそういう字になっているのか。。。なので語学学校に戻り自分の英語の先生に’ここは何て書いてあるんですか?じゃあここは、これは、ここも全く分からない。。。’と本当に果てしない、気の遠くなるような事をしていました。
その間にもそれぞれのクラスでクイズ(小テストのようなものでもちろん成績に30-40%関係してるもの)があって点数がかなり悪いし、以前にマレーシアの友達が言っていたように自分がおバカさんになったようだし、もうどうしよう。。。別の日本人の友達は日本から高校の教科書を送ってもらってそれと照らし合わせながら勉強をしているとも言っていました。なので私も親に頼んで送ってもらい英語の教科書と日本語の教科書を照らし合わせながらの勉強が始まりました。朝4時から起きて英語の教科書、日本語の教科書、辞書、アメリカ人からのノートを全部見ながら勉強。授業には全く追いつけません。なのでもっと時間を費やして勉強。ずっと勉強。ずーーーっと勉強。食事をとる時間もないのでインスタントのラーメンを毎日食べていたら、ある日足の腿の皮膚がやたら痒くなり薄皮がペロっとはがれ始めました、しかも大きな範囲で。んっ?なんだこれは?それに髪の毛もドッサリ抜けます。体重もかなり落ちました、食べている時間がないんです。毎日緊張の連続でお腹も壊し続けていました。それにしてもこんな皮膚今まで見た事ないけど心当たりがあるとするとストレスと食事。ストレスはどうしようもないけど食事はまともな物を食べないとと思い、それからは少しだけ食事に時間を費やすようにしました。
金曜日の夜だけ自分へのご褒美としてマレーシアの友達とアーカンソー州の首都リトルロックへ行き50セントの映画を見たりデパートに連れて行ってもらったりウォールマートに行って食料の買い出しに行ったり、日本人のシホさんのアパートに行ってお喋りをしたり楽しんでいました。シホさんの日本人の友達も紹介してもらいましたが既に日本人のコミュニティーが出来ているようで私は新入りだったので仲間に入れずなので相変わらず単独行動でした。
寮に住んでいて夏休み、冬休みがある度にマレーシアの友達のアパートに転がり込んで一緒に過ごしているうちに段々とそれも苦痛になってきました。彼らは中国語しか喋らないので外国人が輪の中にいても中国語を喋りつづけ私の存在はあたかもないもののよう。かと言って日本人コミュニティーにも入れないし、アメリカ人の英語は全く分からないし。行動範囲もかなり狭く、寮、クラス、図書館、ウォールマートくらいで自分だけではこの範囲が限度。勉強のストレスも絶大ですが生活面でストレス発散をする事が出来ないのもかなりの苦痛。何もかもが本当に嫌でたまりません。国際電話で母に電話をするたびに何処にも行けない、勉強が全く分からないと泣きつく電話ばかり。仲の良かったマレーシアの友達も学校を卒業してしまえば国に帰り又友達が減ったか、私は結局独りか、本当に独り。。。
そんな中でも勉強はすごいスピードで進んでいくので授業が終わるたびに教授のオフィスに行ってヘタな英語で質問をします。ある教授は私の英語理解の無さを哀れに思ったのか、大学にある語学学校を勧めてくれ。。。とは言っても既に卒業してるんですよね一応。あとは障碍者扱いで何とかクラスをパスできないかと考えてくれたり、本当に自分が情けなくなるだけです。苦手な授業は何とかB-でパス(Cも2,3回取った気がします。)。なぜか数学と音楽の授業は問題なし。
そのうちやっとある程度の単位を修得でき、今度は何学部に入りたいのかを決める時期になりました(アメリカの大学は入学の時に何を専攻するのかを決めなくても良いシステム)。国際電話で母に’音楽学部に入りたいと思ってるんだけど、どう思う?’と聞くともちろん ’止めなさい!!!’ だけ言い続け、その言葉は既に聞きなれてはいるものの既に自分のお金でやりたい事をしている、何で今更母の言う事を聞かなければいけないの?反発心の塊です。
結局その刷り込まれている言葉の呪縛から逃げることが出来ず心理学を専攻しました。心理学がメジャー(第1専門分野)の選考、マイナー(第2専門分野)の選考として音楽を選びました。音楽を選んだのはもちろん音楽の勉強を大学レベルでしたかったから。
心理学と音楽の専門分野の勉強がやっと始まります。もうこれ以上ストレスで皮膚がペロっと剥けないように祈るのみです。まだまだ英語の問題は続きます。では次回のお話でお会いしましょう!