ハプニングだらけ、成長をさせてくれたアメリカという国 vol.16

語学留学、大学、グリーンカード、ピアノ、仕事の20年(グリーンカード・ピアノ勉強編)

こんにちは。Ichikawa Piano Schoolの福山です。アーカンソー州にこの時点で約8年住んでいました。

心理学で学位を取りピアノ演奏でも学位を取るところ。これからどうしようか。。。日本の埼玉県さいたま市の便利な場所からアメリカアーカンソー州に来た時は初めてというのもあり、全てのものが珍しく不自由な事でさえも楽しんでいましたがそれも束の間の話。勉強に追いつめられるとストレス発散をする場所がなくイライラが募り、アメリカ人からの差別を感じたり笑われたり、英語が分からないから成績も悪く泣いている毎日。。。結局色々な人と話をしたり、ぼろぼろのダウンタウンに連れて行ってもらったりしながら町の良さを徐々に知り、教会でも知り合いのアメリカ人が出来、ご自宅に呼んでもらったり、1人で家でビデオを見る事にも徐々に慣れ、車の免許も何回も落ちながらやっと取れたり。。。心理学で学位を取ってから徐々に小さい町ながらの良さ、素敵な家が沢山あって大きくてとても安い、たまたま同じ町の日本車のタイヤ会社の副社長ご夫婦ともお知り合いになって親交を深めたり、ダウンタウンにある手作りのろうそく屋さん、香りがとても良く頻繁に行くようになったり、サーベーションアーミーでの古着を50円で購入するのも楽しかったり、教会での仕事でドアのカギを預かり自由に練習が出来た事、礼拝堂の巨大な十字架を前にしながら自分はこの先どうなっていくのだろうという不安を打ち明けたり、毎日通学で使っている道に生えている花や草、自然の良さを感じ始めたり、道路のくぼみだってもういつも見る光景、そして自分でアメリカでの生活をコントロールできるという気持ちの良さ。。。徐々にアーカンソー州での生活が心地よくなっていました。

随分と人は変わるものだなあと自分のことながら ’まあ色々あったからね。。。’ でもピアノは上達していない。ピアノのからくりを何一つ知らない、こんなはずじゃないとフツフツする毎日。今のところ大学はピアノ演奏で卒業は出来そうだけどこの先はどうするか。。。

ピアノ演奏学位取得のためのリサイタルも緊張での気分最悪の中、無事に終わり音楽での成績はバッチリ。プレジデンシャルスカラーというタイトルも卒業時に取り、自分の先生に計らってもらい同じ大学の大学院へ’取り合えず’ 行く事にしました。伴奏でのアシスタントシップも貰い、大学からお給料が出て伴奏をする、全額授業料免除のスカラシップ、教会やアメリカの会社での仕事と生活は安定してはいるものの、このままではまずい、そもそもこれは一時的な収入であって一生続くわけではない。。。指揮者専攻の友達は既にインディアナ大学ブルーミントン校に行き大学院を始めている、私もその学校に行ってみたいけど。。。

ある日飯沼先生相談しました、どうやって練木先生からレッスンを取ることが出来るのかという事。’メールをしてみたら?’というので練木玲子先生の方にドキドキでメールをしてみました。返答があり、この日のこの時間ならレッスンが出来るから空けておきますとの事。もうメールの返答があっただけで嬉しくて嬉しくてたまりません。仕事や勉強の調整、ニャン太郎の面倒を見てくれる友達も見つけ、あとは行くだけ。ニャン太郎に会えないのはとても寂しいのですがこの先の私達の生活を考えて友達にニャン太郎を頼んだっと言って出発。

あの頃はGPSもないので地図?に頼りアーカンソーの大学からインディアナの大学までは10時間あるので途中休憩でホテルに一泊。ホテルはインディアナ大学のある街に予約をしました。一応練木玲子先生のオフィスを間違わずに行けるようインディアナ州に到着したその日の夜に音楽学部の建物に行き先生のオフィスを確認。ドアにReiko Nerikiと書いてありました。もう見ただけでピアノの神様に近づけたかのような心境。それから学部をゆっくりと見て。。。というより学部の建物のドアを開けた瞬間から凄い音が聞こえてきます。沢山の生徒が夜なのに練習室で必死に練習中。ヴァイオリンから声楽、チェロも木管楽器、金管楽器も全ての音が混ざって聞こえてきて’おおっっっ、さすがインディアナ大学。。。’生徒が忙しそうに建物の中を歩いています。私は完全におのぼりで山奥から出てきた人間のよう。別の音楽の建物に行くと玲子先生のオフィスがあった建物より一層古そうな感じ。教授たちのドアも分厚い木製のドアでかなり重厚な感じです。それを見ただけで震えあがります。私なんかがこんな所に来て本当にいいのか???心の準備は出来てるの?本当にピアノをやりたいの?自分に対して沢山の質問が出てきます。

次の日はいよいよ玲子先生とのレッスン。インディアナ大学の練習室はたっくさんあって、空いている場所を探すのがとても大変です。探している最中にも大音量の練習の音。それでも何とかピアノを見つけ練習開始。レッスンの時間が近づくとお腹が痛くなってきてトイレへ。。。いつもの事ですがより一層緊張します。そしてオフィスのドアをノック、コンコンコン。

玲子先生の返答はないのでドアを開けると他の生徒とのレッスンの最中。私は目の前にあった椅子に座って居心地悪くいるだけ。。。そのうちその生徒とのレッスンが終り先生は私に話しかけてくれます。’初めまして。。。’の挨拶から私は自分がどういう者でどこにいて何をしているのかを説明し、いよいよレッスン開始。アーカンソーの自分の先生とは全く違う説明の仕方。日本語なのに言っている意味が分かっているような分かっていないような。。。本物すぎる?専門的過ぎる?で言っている意味があまり良く分かりません。それでも感覚で何となくわかるような。私のレベルは玲子先生が望んでいるものよりずっと低いもので、それでも必死に1時間以上教えてくれました。レッスン料をお支払いし丁重にお礼を申し上げ自分の車に戻りました。が。玲子先生が教えてくれた情報量が多くて専門的過ぎて頭がついていきません。先生がピアノを教えてくれる言葉に圧倒され続けての1時間半。。。先生が言ってくれている言葉をずっと考えていました、’手の中で和音を作る(先生)’、’。。。。。。。。。。。(私)’ その他にも沢山の事が頭の中をグルグル回っていてどうやって車に辿り着いたのか、どうやって自分のホテルに戻ったのか全く覚えていませんでした。

次の日はまだインディアナにいる予定で音楽学部の近くに楽譜屋さんがあるので行ってみました。車を駐車して朝の学校風景を観察していると楽器を持った沢山の学生たちが登校しています。その光景さえも自分が今いる大学との差を感じ、あとで調べたらインディアナ大学の音楽学部には2000人くらいの学部生がいてかなり多いらしい。そんな光景を見ながら羨ましい気持ちを持って楽譜屋さんに到着。音楽にまつわるものが沢山あってもちろん私はピアノの楽譜の所に直行。ワクワクしすぎて全部欲しいくらいです。確か数冊の楽譜は購入。そして今度はインディアナ大学のブックストアに入りました。学校の名前が入ったトレーナーとか帽子、鉛筆、全部欲しくなってきます。分厚いテキストブックが並べられてるのを見てもうんざりとも思わず、私もインディアナ大学の学生になりたい!という思いがどんどん強くなっていきます。

ダウンタウンは小さいですが国際色豊かな感じで色々な国のレストランがズラッと並んでました。アーカンソーはアメリカンフードだけ。。。フットボールスタジアムも自分の大学のより100倍くらい大きく見えました。羨ましいだけの一心です。どうやったらこの大学に入学できるんだろう。

アーカンソー州にある自分のアパートに10時間かけて戻りヘトヘトに疲れながらもニャン太郎を迎えに行き、この旅行での事をずっと思い返していました。私もインディアナ大学に行きたい。次の日は飯沼先生にレッスンの事や旅行の事を報告。通常の日々に戻りますが私の頭はずっとインディアナの事を考えていました。もっとピアノを専門的に勉強したい、玲子先生からレッスンを取りたい。。。

ここから真剣にインディアナへの引っ越し、インディアナでの生活費の稼ぎ方、入学の仕方、インディアナ大学大学院に入学する為のオーディションに向けての調べ事が始まります。心地よく既に安定しているアーカンソーでの生活、または又1から始めなければいけないインディアナでの生活。。。今までも日本から渡米、アメリカの大学へ入学、学位取得、アメリカ企業での就職、グリーンカードの取得など冒険はありましたが、ここから別の冒険が始まります。ピアノの勉強により踏み込んだ生活が始まろうとしています。この続きは次回のお話で。皆様良い一日をお過ごしください!Have a nice day !